石のひとりごと
石のひとりごと
現在、呼吸法をお教えしながら、日々の振り返りをしたりその日に感じたことをお話ししています。
その話しの中で最近、ふと気づいたことがあります。
わたしは12年前、サトシさんから瞑想を教えていただいて、それを自分のやり方に変えて独自の呼吸法を作っていったわけですが、
それを続けるうちに内側から声が湧いてくるようになりました。
たぶん、それはそれ以前に観念浄化ワークを徹底的にやっていたからだと思いますが、
それが頻繁に起こり、それをブログに綴るようになり、その声の主をままのままと命名して、
その後もままのままさんに教えられ導かれてきたわけです。
ままのままさんは、筋道立てて教えてくれることもありますが、大抵は体験させて教えるという手法のようで、そのため、さまざまな失敗もさせられました。
導かれるので素直なわたしは従うわけです。でも、それで人に怒られてしまうこともあります。
やめてくれ〜って感じです。
そして、自分のやり方を試したい!と自分の意思で行動しようとするときもありました。(今でも若干あります)
そんな時、ままのままさんはいなくなります。自我があると離れるのです、ままのままさんは。
そして、自分のやり方で行動すると、あらぬ方向にいってしまい、人に迷惑かけたりお叱りを受けることになるのです。何度繰り返したか。
それは、わたしに、どこかに認められたいという気持ちがあり暴走してしまったから。
引くに引けずに謙虚にもなれずに暴走してしまう。
元来、わたしはそんなことを繰り返していましたね。
そこで謙虚さを学ぶわけです。
でも、いつの頃からかわからないですが、
導かれる内容が全て、自分に誠実に生きる、という選択になりました。
これこれこういうことするのが、自分に誠実に生きることなんだよ、と教えられるのではなく、
誠実に生きる、誠実さを表す、という選択しかしないように引っ張られているのです。
わたしとしては、選択肢がないのです。
誠実に生きることしか選択肢がない。
ままのままさんはわたしをそのように導いてくれています。
わたしは、それに乗っかって動くだけなのです。
そこに、わたしの意志はありません。空っぽです。
空っぽだから、引っ張られるわけですが。
これまでままのままさんからさまざまなことを教えられてきましたが、大きかったのは、この、「誠実に生きるしか選択肢がない」ということです。
謙虚になることは自分を振り返り反省すれば誰にでも出来ます。
悟ってなくても出来るのです。
だけど、自分自身に繋がっていないと、誠実さしか選択しないのは難しいのではないかな、と思うのです。
自分の心の中の負の感情がないから、誠実さしか選択しなくなったのかな、と思います。
謙虚さも大切ですが、
自分に誠実に生きることはそれ以上に大切だとままのままさんは教えてくれています。
そして、わたしも今後伝えていきたいと思います。
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まあ、石だから、誠実さもくそもないよね。石のまま生きるのが誠実に生きるということだと思うわね。
###の上のように書いてるといかにもご立派感がありますが、本当のわたしは石ですから、誠実さもくそもないわね、石のまま生きてるだけよ、という感覚しかないので、人からしたら有り難みを感じにくいかもしれませんね。
そこがわたしの悩みの種です。
だから、たまにわたしはご立派感を出したくなります^ ^
(本当に言いたいことはこれかも知れない)
おわり